私はなぜ“このジャンル”を書き続けるのか

「執着はなぜ愛になるのか?」
感情で描く創作を貫く、私の原点と現在地。
もくじ
―感情型創作者が見つけた、物語の核と問いのかたち―
はじめに:好きなジャンルを語るって、意外と難しい
「BLが好きです」「執着が好きです」──それだけじゃ、伝わらない。
私はなぜこのジャンルに惹かれるのか。なぜ書き続けるのか。
この記事では、“感情型創作者”としての視点から、その理由を掘り下げてみたい。
1. 私の物語には「執着」がある
私は、執着をデフォルトとする物語を書いている。
世界を広げる物語ではなく、ふたりの関係性に焦点を絞った、閉じた世界。
そこにあるのは、攻めと受けの心のぶつかり合い、そして癒しだ。
2. 主人公は「壊れないヒーロー」である
私の主人公は、泣くこともあるし、迷うこともある。
でも決して、心の核を失うことはない。
むしろ、その“壊れなさ”こそが、攻めの側を変える力になる。
3. 「救う」のではなく、「受け止める」
物語の構造として多いのは、攻めが受けを救う展開。
けれど私の物語は違う。
主人公が、攻め側の痛みや傷を受け止めて、彼の世界を変えていく。
それが、私が描きたい“愛”であり、“つながり”なのだ。
4. 感情と問いは、いつも一緒にある
最近になって気づいた。
私はいつも、問いながら書いている。
- 「愛って、選ぶもの? 抗えないもの?」
- 「自由って本当に幸せ?」
- 「死って、終わり? それとも何かの転化?」
- 「本音をさらけ出すことは、救い? それとも破滅?」
この問いをキャラたちにぶつけて、感情でぶっ壊していく。
だからこそ、書くことが止められない。
5. 書くとは、“心の奥に問いを投げること”
私は、キャラと会話しながら、自分の中にある“なぜ”と向き合っている。
それはきっと、哲学的な営みなのかもしれない。
だからこれから、このブログでは、
“感情”と“問い”を起点にした創作の在り方を、ゆっくりと語っていきたい。
では、私は具体的にどうとらえているのか?
◆ BLというジャンルは、私にとって何なのか
BLは、好きの源泉であり、燃料であり、
無限に増殖する感情発火炎上装置だ。
誰かにとっては表現の手段かもしれない。
けれど私にとっては、もっと根本的なもの──
存在に感謝するレベルの、“パートナー的概念”。
ただのジャンルじゃない。
感情を、問いを、私の全部をのせられる、創作という魂の舞台。
◆ 私の物語は「執着」がデフォルトにある
執着って、私にとっては愛そのものなんだ。
よく「好きの反対は無関心」って言うけど、
私はこう思ってる。無関心の反対は、執着だ。
だから、私のキャラたちはみんな、主人公に執着する。
でもそれはただの属性じゃない。
“なぜ執着するのか”という理由が、必ずある。
そこを無視したらキャラが人間にならない。
物語は、感情の理由でできている。
◆ 主人公は、壊れないヒーロー
主人公は、「こうありたかった私」の理想の具現。
完璧じゃない。泣くし、傷つくし、迷う。
それでも彼らは、壊れない心の核を持っている。
私は幸せになる物語が書きたい。
そのためには、主人公が「愛」や「優しさ」を受け取れる存在じゃないといけない。
目と耳を塞いでしまった心には、何も届かない。
だから私は、壊れない主人公を書く。
◆ 攻めとは、絆を生む感情の鏡像
攻めは、私の中にあるふたつの願いの具現。
- 「愛してほしい」という願い
- 「誰かと繋がり、必要とされたい」という願い
そして彼らは、一人の人間でもある。
本気で愛すれば、葛藤する。
感情がぶつかれば傷もつく。
でも、その傷に主人公が手を伸ばすとき、感情は糸になって編まれ、強い絆に変わる。
◆ 感情のピークは「変化を受け入れた瞬間」
私が描く物語の感情の爆発点は、
“変わることを選んだ瞬間”にある。
人は変化を恐れる。
でもそれを受け入れるには、
それ以上に強い愛や絆が必要になる。
ただ揺れるだけじゃなく、
その感情を受け止めて、自分を変えようとする瞬間。
それが、私にとっての“感情のピーク”。
◆ なぜ私は書き続けるのか
私の願いが、美しく輝く瞬間を魅せてくれるのが、小説だから。
現実は、嫌いじゃない。
でもしがらみもあって、素直に生きるのは難しい。
だから、私は物語を書く。
私の願いが、ちゃんと叶って、ちゃんと届く場所。
人の欲はなくならない。だから物語も終わらない。
私はこれからも、
その欲を形にしていくために、物語を書き続ける。
◆ あなたは、なぜ物語を綴っていますか?
次回は、「執着」と「救い」の感情構造について語る予定です。
よかったら、あなたの“書く理由”もぜひ教えてください。